栃の木日記

TOTI ni BAR WEBLOG「栃の木日記」

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09

2010 07

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~師匠の指導3~

こんばんは、今日も夕方から雨が降っています。最近よく耳にする言葉が「ゲリラ豪雨」。

 

続きです

キーワードは「何事も経験できる体制がとれる事」

私の師匠事「支配人」はとにかく経験が豊富。仕事はもちろん遊ぶ事にも余念がありませんでした。

今思えばそんな支配人とお客様の会話ってすごく楽しそうだったなと。

人の魅力はきっとここにもあるのですね、どう考えても経験を重ねた百戦錬磨の方には若者は敵いっこないです。だから若い時に色々な事にチャレンジする事が大切なんだと今でも思っていますし、今でも勉強をしています。

 

支配人の究極の考え

もちろん支配人は同業の方の交流も広く多くそして慕われていましたので

よく支配人の元にこんな電話が掛ってくるのです。

「ラメールのスタッフ一人をお借りできませんでしょうか?」という内容。

ラメールには常時在籍10名程の見習いスタッフは社員ではなく全員アルバイトでした。そして前にも記しましたが毎日ラメールで働けるわけではなく、アルバイトだった事により一時的に他店へ働きに行く言わば私達にとってみれば出稼ぎみたいな仕事がありました。

やけに他店への仕事を支配人は引き受けるのです。

なんで?

人材派遣?

終始疑問だらけ。

そう思いつつも支配人の指令でしたので色々な所へ行ってきました。

因みに配属先では横浜のBARが多かったのですが横浜以外にも銀座のBAR、ホテル、スナック、居酒屋まで本当に幅広いジャンルの中でそれぞれがヘルプに行っていました。当時ラメールでは時給800円でしたがヘルプ先では1000円から1500円までの高時給に変わり外のほうが稼げるということで借金まみれの私は週の大半が昼ラメールでランチ営業し夕方から他店で働くといったスケジュール。

でも当時は私達見習いの中では

他店もいいけど支配人がいるラメールで勉強したいのに・・・

なんでヘルプばかりなの??

 

ヘルプ先での経験談につづく

 

July 9, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

25

2010 06

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~師匠の指導②~

今朝はワールドカップサッカー対デンマーク戦。感動しましたね、頑張れ日本!(^^)!

 

続きから

私の師匠事支配人は非常に経験が豊富な方で色々な事にご興味をお持ちでした。またお酒を召し上がる事もお好きで一緒に飲みに連れて行って頂くと・・・朝の7時8時は当たり前でしたがその時に色々な話をして下さったりします。

良くおしゃっていた事は「借金してでもいろいろ経験をしろ」

これも究極でした。

私の体験談ですが

支配人は仕事も遊びもとにかく自分で行動して目で確かめるそして何事も経験するというような方で良く海外にもお酒の研究で旅行を毎年数回行かれていました。

その時ラメールにいるスタッフは「お前〇〇に一緒にいくか」と声をかけて頂く事がありました。

私がラメールに入って2年弱22歳の時です、

9月ごろ「メーカーズマーク」バーボンウィスキーの研修ツアーありお店を代表して「田村行って来い」の一言。

有難うございます!

当時1週間程の行程で確か40万弱の旅行代金でした。けど前にも述べましたが見習いアルバイトで、さすがに40万などの大金があるわけでもなく・・・親に借りて行きました。

内容はメーカーさんの主催ということもあり非常に濃い内容の研修で私もアメリカへは初の旅行となり充実した研修となりました。

そして・・・翌10月

支配人主催でスペインへシェリー酒の研修ツアーがあり、支配人は私に声を掛けてくださったのです

「お前スペイン行くか」

・・・

行きたいけど・・・先月アメリカへ行ったし、さすがにお金が無いです。。。

「借金してでも経験するんだよ!!」

・・・

はい。連れて行って下さい。宜しくお願いします。

旅行代金はこちらも40万弱、親に出世払いでお願いします、頼みました。

そしてスペインへGO

日本へ帰ってからは沢山頑張って働きました。

うわーそれにしても残った借金が・・・お先が暗かったですが、何年も時が経ち

こうして自分がお店を開きお客様と接客や会話をする。やはり何事も経験してきた人のほうが話に深みがあり面白い。

今思えばまさに宮内支配人の配慮だったのです。

余談ですがその翌年には支配人に誘われこちらは完全な遊びでサイパンへ。その時も何事も経験ということで同期で初のスカイダイビングをやりました(^^)楽しかった~♪

そしてここでもう一つ支配人の元から離れた時に気づいた事があります。

なぜ私達を社員にさせずにアルバイトでいさせたか・・・

「何事も経験できる体制がとれるように」

が答えでした。

因みに親から借りたお金はトチを開店してから時間をかけて返しました。

本当に何事にも感謝。有難うございました!!

 

支配人の指導③に続く

 

 

June 25, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

14

2010 06

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~支配人の指導~

こんばんは。関東地方もようやく梅雨入りです、そして今夜はワールドカップサッカー対カメルーン戦。頑張れ日本!!

 

続きから

私の師匠の「宮内誠氏」こと支配人はとにかく口数が少なく目で仕事を盗むといいますか、親切丁寧に教えて頂く事などほとんど0に等しいくらい。でも、間違えたやり方で何かを進めているとよく雷が落ちたものでした。

ではどうしたら??

答えは簡単で分からなければ自分から聞きに行く。と言っても支配人に聞くのには勇気がいったので先輩方から細かい事を聞きながら教わるのです。

そしてラメールの営業中はカウンター20席のバーですが接客は一切禁止。お客様との会話を認めていたのはご自身とチーフのみ。

20歳そこそこの従業員が大人を相手に会話など出来るわけがない、という意味をもった究極の支配人の考え方だったのです。

では営業中って私達スタッフは何をしていたと思いますか?

駅構内という立地のなか暇な日は少なく業務におわれますが、手の空いている時の基本は接客ではなく掃除でした。水回りなど洗い物をして水滴がつくようなところでも水滴など一切0が普通です。その他お店全体も奇麗すぎるほどピカピカ。でもお客様は話しかけてくるんですよ・・・内心話しかけないでくれ~って思う事もありましたが、さすがに無視は出来ない。ちらっと支配人の方を見るとカウンターの遠くからにらまれ、後で裏に呼ばれ「お前何やってんだ」って一言。あーこわ。本当に営業中は色々な事に気をつかってました。

当時は多少の疑問もありましたが、お客様がではなく支配人の作ったルールを守る事が大切であること。今になるとその意味も良く分かってきます。トチでも新人がカウンターに入って接客が出来るかと言えば・・・出来るわけないんですよね。それを支配人はあえて禁止していたんだなと。その徹底ぶりは凄かったです。

支配人の指導②に続く

 

 

June 14, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

06

2010 05

GWはいかがお過ごしでしたか??

こんにちは。なが~い連休も明け今日からトチもミズメも営業を再開します。

東京では4月29日から5月5日まで連続で晴天が続いたのは50年の観測史上で「初」だったみたいですね。そのほか高速道路の料金が1000円最後ですとか沖縄の問題と何かと話題の多かった休みだったようにも思えます。

因みに私は旬を感じに千葉県の船橋にあります「三番瀬海浜公園」に潮干狩りへ行って参りました~もちろん混雑は想定内でしたが・・・9時から開園ということもあり早めに現地に向かい万全の態勢でと思っていたのにもかかわらず・・・甘かったですね、駐車場にもまともに入れませんでした。

かんじんの潮干狩りは、潮の満ち引きの関係でこの日のスタートはお昼の12時からそれまで公園で時間をつぶし潮干狩りのできるエリアへ移動。

 いや~どこを見回しても人・人・人・人だらけでした。因みに下の写真は12時の時間まで時間をつぶす人の山です。かんじんな潮干狩りは私も小学生以来の久々でなかなか浅利ちゃんと向き合えませんでしたが、ちょっとコツをつかむと出るわ出るわの大漁でした(^^)つい調子に乗りすぎちゃって・・・帰りにはちゃんと100g60円で約3キロほど買い取って帰りました~☆                                                          siohigari.jpg

May 6, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

14

2010 04

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~仲間&ライバル~

 こんばんは。続きです。

 

勤めていたラ・メールはカウンター20席のみで横に長いお店でした。年中無休で営業時間はお昼の12時から23時までの通し営業。

勤務体制は早番11時から17時、遅番17時から23時半まで、通しは11時から23時半まで。早番4人遅番4人の体制で社員は宮内支配人とチーフのみ。以下見習いは皆アルバイトの契約だったのです。仕事の内容は早番はカレーのランチを14時まで営業して17時までは喫茶タイム、17時からバータイムでした。

横浜アリーナでコンサート等公演があると駅構内の飲食店は恐ろしいくらい混雑するといった現象も珍しくはなかったのを覚えています。因みにすごく印象的だったのがSMA〇のコンサート、街中いたるところでうちわを持った熱狂的なファンといったらまー素晴らしい。お昼の時間帯はラ・メールも異様な雰囲気で営業をしていました。

時給は経験年数など問わず一律800円、見習いとしては有難いくらいなのですが在籍人数が多かった為に毎日仕事に出れるかと思えば、とんでもありません連休だって多かったのです・・・。

余談ですが当時はバーテンダーという職種がすごく人気があり毎月支配人の元へ修行をしたいと望む若い人が後を絶たなかった。その時の支配人の言葉が今でも頭に焼き付いているのですが「バーテンダーになりたいやつは多くいてもバーテンダーとして生き残れるやつは一握り」とラッパの形に例えてよく話しをしていたのを今でも忘れません。

シフトは一月ごとに支配人がすべて決めていたのでいかに出勤日を増やして頂くのには個人の要望ももちろんありましたが支配人に媚びるわけでもなく普段の仕事からのアピールする事が必要でした。

もちろん厳しい世界でありましたのでお言葉通り辞めていく人間も数知れず、常に新しい人間が加わり、生き残ったライバルであり仲間の現在は横浜や都内でそれぞれお店をやっている方が多いです。

 

支配人の指導につづく

 

 

April 14, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

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