栃の木日記

TOTI ni BAR WEBLOG「栃の木日記」

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22

2011 09

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~激動のBAR AZUMA~後編

 

続きです。

 

毎日暇な日が続いた。

 

来店して下さるのは系列店からのお食事が済んだお客様。数少ないお客さまの中でどうしたら次に繋がって系列店なしでもリピートそして来店していただけるのか・・・。

 

一緒に勤めていた藤森さんと毎日時間さえあればそんな事をよく話していました。

 

今思えばこの時間、絶対に無駄ではなかった。

 

その後

 

一年、二年と過ぎ開店当初はお客様が0だったAZUMAも一風変わった個性的な店内の内装も受け入れられお客様が増えてきたんです!

 

とある日とある時間帯に店内一杯にお客様がはいって大賑わいしてた事を今でも忘れません。

 

そこからか軌道に乗り始め3年目には忙しいお店へと移り変わってきたのです。

 

すごく最初は悩んだり悔しい思いをし、3年かかりましたが一つお店を形にする事が出来たと思っています。

 

そのころからアルバイトを多く雇ってもらい勢いが付いてきた時でした。

 

既存の銀座7丁目にあった黒船屋を改装する話、社長からはダイニングバーに業態変更するということだった。

 

誰にも何も言われてはいませんでしたが、私の仕事も評価されての業態変更に繋がったと、恥ずかしいですがそのころは少し自信もありましたのでそう思っていたような気がします。

 

その後新店舗BAR AZUMA G7が開店し私はそちらの店舗へ責任者として移動となり働きましたが、

 

なかなか上手くいかない。

 

BAR AZUMA G7 につづく

 

 

 

September 22, 2011 / Comment(0) / Trackback(0)

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2011 01

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~激動のBAR AZUMA~前編

こちらも久々の更新となりすみません。

続きです。

 

縁があって銀座のBARで勤める事が決まった私。新規開店のBARで働けると意気揚々としていたのですが・・・

AZUMAはお客様に靴を脱いで頂くといった一風変わったお店、店内も真っ暗で私達従業員は暗さのあまりペンライトを常に持つ状況。

・・・。

正直びっくりしました!

20歳のころから勤めていたラメールはオーセンティックバー、AZUMAはオーセンティックとは程遠いBARでした。

店名の由来も社長自らの名前でお店にも社長の拘りが多かったのですが、自分が持つBARのイメージではなかった。

当時の株式会社黒船屋では懐石コースの夢屋銀衛が3店舗、居酒屋の黒船屋が3店舗、そして BAR AZUMAの計7店舗を銀座に展開していました。

BARという業種は初めてで、そこに私へ声を掛けて下さったのですが、会社的に大切なのはBAR以外の店舗。今思えばあまり本気には取り合ってくれないのが常でした。

服装もベストに蝶ネクタイをするのが私のイメージでしたが、黒いコック服みたいな感じで、暗い店に黒い従業員まさに忍者のような格好でした。

ここで続けられるのか!?!?

BARの理想やスタイルを気にしていた私にとって非常に働きにくい環境でした。

でも私にも意地もあった、負けたくはなかった。

自分で決めた道、責任もって前を向いて頑張ってみようじゃないかといつ頃かそんな風に思うようになって仕事をしていました。

と言っても・・・

現状はお客様が来ない。

そりゃそうですよね、私が勤めたからと言っても私にはお客様なんているわけがない。流行る理由もないすごくみじめな思いもした。

その時に協力して下さったのが系列店舗のスタッフでした。それぞれのお店のお帰りになるお客様にBARの存在を アピールしてもらい、その日のうちに足を運んでもらう。

日々その繰り返しを続けていきました。

(それがきっかけとなり今でもトチバーへ来て下さっているお客さまも沢山いらっしゃいます!)

私もBARが暇なときはレストランの洗い場を手伝ったりしていました。

 

つづく

January 13, 2011 / Comment(0) / Trackback(0)

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2010 10

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~いざ銀座へ~

こんばんは。ついに日記の更新を一月もあけてしまいました(>_<)

 

 

続きです

 

私が銀座のBARにヘルプでお世話になっていた時に仲良くなった同僚のFさん。私の恩師とも言えるBARのマスターの元を離れ銀座にあります黒船屋さんの社員になっていたのです。

あるときFさんから電話がありました。

その内容とは・・・

「実はうちの会社で新しいお店を作ることになったんだよね。懐石コースのレストランとBAR。良かったら一緒に働かない??」

ちょっと?いや相当。嬉しかったですね。

その後、この件に関して支配人に相談をしました。

一度よそで働いてきてもいいでしょうか・・・・と

支配人は

行ってみて来いと言ってくれました。

当時23歳、宮内支配人の下で4年半勉強させて頂き、いざ銀座の新天地へ社員として働かさせてもらえる事が決まったのです。

そのお店とは「BAR AZUMA」

そこは現在に至るまでの私が大きくステップとなったお店です!

「激動のAZUMA」につづく

 

因みに「BAR AZUMA」をご存知の方も多くいらっしゃると思うのですが現在は残念ながら閉店しております・・・。

あしからずご了承ください。

 

 

 

 

October 9, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

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2010 09

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~新たな出会い~

皆さんこんにちは!毎日暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか?

今日は台風9号が日本列島を縦断だなんて!?!?午後3時に熱帯低気圧に変わったそうです(*_*)

 

続きです。

私達見習いスタッフは、ラメールだけではなく様々なお店にヘルプとして出ていました。前作では居酒屋さんでの小話でしたが・・・今回は私の人生で大きな切っ掛けを作れたBARでのお話です。

22歳のころ支配人から銀座の某BARへヘルプに行けと言われました。今回は某BARマスターの直々田村ご指名だったのです。

そのBARのマスターというのは私をこの業界へ導いてくれた佐藤マスターで、今回のヘルプ先は過去の「横須賀ストーリー師匠との出会い」にも登場させて頂いたマスターのお店です。

佐藤マスターは帝〇ホテルの支配人では??

私が初めてお会いした時はそうでしたが、それから数年後に銀座でマスターご自身が独立されていたのでした。

銀座ってどういうところなのだろうと終始不安で見習いの身分で何が出来るのだろうとその頃は緊張しっぱなしでした。

佐藤マスターのお店は静かな空間にウィスキーやカクテルをゆっくりとたのしみそしてマスターとの会話を楽しむお客様が多くカクテルは全てマスターが作っていました。

その頃の私の仕事はひたすら洗い物、お客様がいないときはボトル拭きや身の回りのお掃除といった内容でラメールでの経験は活かされましたが、接客という観点では上手く出来ていませんでした。

佐藤マスターの親心なのか私を銀座まで呼んで下さり仕事をしながら勉強をさせて頂きました。宮内支配人とはまた違って佐藤マスターの仕事に対する考え方も素晴らしく出来るだけ自分の中で吸収をさせて頂いた事を今でも覚えています。

でもお二人に共通している所は言葉では何も教えてはくれない事ですね☆あくまでも見て盗むが基本でした。

佐藤マスターのお店には私以外で一人のスタッフが働いていました。その彼の名前はFさん自分の一つ先輩で同じように見習いとして働いていました。

私は週2回約1年間佐藤マスターの元へ行っておりその間Fさんにはすごく良くしてもらっていました。

仕事は厳しかったですがFさんと話すのもまた勉強でしたね。

 

しばらくすると・・・

Fさんが佐藤マスターのBARを辞めてしまったのです・・・

つづく

September 8, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

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2010 08

横須賀ストーリー「私のバーテンダー道」~大切な経験~

こんばんは。お盆休みも明け、そろそろエンジン全開!?だなんて思っていてもまだまだお盆という名の長いトンネルから抜け出せないトチです(>_<)

 

続きから

ラメールに所属していた私達見習いスタッフはBARはもちろんスナックや居酒屋等幅広いジャンルのお店でヘルプもしながら働いていました。

*ヘルプ・・・支配人の知人の依頼でその店が人員不足等で困っている時に私達スタッフが手伝いをしに行く事。

☆私が経験したちょっと面白かったお店の話し☆

支配人の知り合いが桜木町で居酒屋を新規開店するお話し。無論そちらの社長さんは支配人を崇拝しておりました。

「是非居酒屋にカウンターを作りドリンク部門でご教授頂きたい。」

とあるビルの地下一階で席数はたしか100席弱だったでしょうか。

もちろん支配人は引き受けました。

チェーンの居酒屋さんでもカクテルのメニューってあるじゃないですか、当時ではたいがいの居酒屋さんではコンク(出来合い?)というものを使用しグラスに氷を入れコンク+炭酸水でカクテルの出来上がり。

新たな居酒屋さんではコンクを使用せずちゃんとしたカクテルを提供したい・・・

そのためには私達スタッフがヘルプでお店のカウンターに入りアルバイトの人たちにカクテルを教える。

この社長のオーダーに応えるべく「居酒屋チーム」が結成されました。

支配人の指示でチーフ・先輩・自分

この三人で年中無休かつ翌3時まで営業の居酒屋さんを回す事になりました。

その頃は週3~4回出てましたね(*_*)

格好は・・・・

シャツがオレンジでズボンが緑のユニホーム。

これってピーターパンみたい!?!?えっっこの格好を!?

そりゃそうですよね郷に従うのです。

私は開店2日目から入ったのですが、初日に行かれたチーフに状況を聞くと

教えるどころか普通に追われて一日が終わったと言ってました。

私の初日、オープン景気もあったのか凄い入客であっという間に満席。生ビールから生グレープフルーツサワー、熱燗等居酒屋さんでよく飲まれるオーダーをひたすらこなし、感じんのカクテルは???正直あまり出ませんでした。

たまに競馬好きなお一人様がカウンターに座り「おにーちゃん、マティーニ作れるのか」って・・・・

あはは・・・作れますよ。

マティーニを作っていると・・・「おにーちゃん良い手つきだねー」って

・・・・。

こんな出来事もありました↓↓↓

もちろん団体さんが座れる小上がりのスペースもあり、

その日は何やら若いお客さんの団体。

ドリンクのオーダーが届くと

サイドカー10個・・・

さすがにこのオーダーには笑ってしまいましたよ!!

そんなこんなで約半年間くらいでしょうかお世話になりました。

因みにその居酒屋さんはその後店舗展開をし横浜では名の知れた居酒屋さんになっています。

1店舗目のカウンターをお手伝いさせていただけたと思うと嬉しいですね。

私達バーテンダーの見習いが居酒屋さんで働く事ってなかなか出来ないのが事実、そう思うと凄く貴重な半年間だったと思っています。

これも本当に良い経験でした(^^)

 

つづく

 

August 20, 2010 / Comment(0) / Trackback(0)

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